2025年3月27日(木)
夜執筆開始 / 未明公開
母子家庭は、ときどき話題になる。だが、父子家庭はならない。
ひとり親という表現が父親、母親のいずれかしかいないということを表す言葉であるのに、たいていの場合母子家庭に目が向けられる。
これは、不正である。
離婚によって母子家庭となるケースが極めて多いなか、母親が早くに亡くなるなどの重い理由によって父子家庭となった家族を長年蔑(ないがし)ろにし苦しめてきたことは、国と行政、そして社会の、今なお正されていない悪事である。
長年教育者として若い世代のために尽力され、日本国の将来のために人生を投資されてきた父上も、父子家庭の父親として多大な労苦を被った。その労苦はどれほど時間が経とうと、決して消えるものではない。
父上は、ものを大事に長くお使いになる。ゆえに父上のお持ちのものは、どれも歴史がある。人生の節目に贈られたものや活動の意義深い場面で用いられたものなど、私は子どもの頃父上の引き出しにあったそれらをよく覗いていた。
父上のお仕事は時代の先を見据えた類なきものであり、黎明時代が到来して満2年になった今、父上のお務めのその貴重さと有り難さが、ようやく人々に認識されるようになってきている。
父上が本番期に入られた2023年3月以降、日本国での活動をお継ぎになった姉上は、本年3月2日のYAHYOI講説にもあるように、大胆に、また、厳かにお務めに励んでこられた。
そして今までに、父上の近況を知らせる便りは、何度か届いている。
食事に関しても、野菜がお好きでいらっしゃるのに減らさなければならない、また、海が近い町に暮らしているのに魚が手に入らないなど、たびたびの制約がなくなることのなかったかつてと違い、今は野菜も魚類も、充実していると聞いている。
そして、穏やかであると、そう伺った。
まことに、少ない便りのなかに、多くがある。
2日前の3月25日、ある2人は軽率に、意見の一致に至った。
駐車場かロビーか、車で走り去る前の中間の時に、極めて重い深刻な事柄に関して、決定をした。
あぁ、友よ。どうかこの内容が、広く話題になりますように。
多くに届き、波となりますように。
この日、私は実に3週間ぶりに、少しまとまった時間を姉上とともに過ごすことができた。片道2時間半の移動を経てようやく着くその場所で、通常は15分しか許されないため、その点は、嬉しかった。
しかし、枠は異常事態であった。
なんと、強制入院が必要かどうか、の「診察」だったのである。
その2人はいわゆる精神科医。そして名を問う姉上に対し指定医とだけ名乗り、答えることを拒んだ。
姉上は、自らが綴られた3月11日付文書を通して私たちにすでにお知らせになったように、弁護士が皆屈する者であるため弁護士をつけずに、この3度目の違法逮捕という著しい攻めに対して戦っていらっしゃる。このため、この一件で姉上を弁護する人はいない。
しかし、翌日の3月26日午前、姉上を弁護するようにと仰せつかったゆえ、ここに私が妹として、姉上を弁護する。
私と姉上の務めはそれぞれ異なる。そして、昨日YAHYOI講説ウェブサイトにおいて公開された姉上からの3月23日付文書にあるように、私の進む道は姉上の進む道と異なる。
私の発言の責任は全て、私にある。
父上が、そして、姉上がそのお務めに命を投資されるように、私も、私に与えられる務めに、命を投資する。
これゆえ、この弁護は、阻まれない。
では、題に入る。
まず、各質問に対する姉上のお答えは、とても和らげた講説のようであった。相手に疑問が残ることがないようにと気をお配りになり、丁寧にお答えになっていた。
そして、今まで経験した多くの困難に関する問いに対しては、家族の歴史となっているこの弾圧と迫害の観点が非常に重いため、時系列も含め一貫して明瞭簡潔に述べられていたなか、一言一言において当時を鮮明に思い出されているようであった。それゆえ、ご本人の人生に被害をもたらした複数の大不正については憤りを露わにされ、それは、特に表情と声から明らかであった。
先に質問をした指定医は女性であり、比較的頻繁に自身がかけていたメガネを動かしていた。終始柔らかめのその声の響きには、「辛い思いをしたの、そう、かわいそうねぇ」という色がついていた。
次に質問をした男性の指定医は、年配ではないがとても猫背であり、雰囲気等から私は、電車などでこの人を見かけることがあったとしても相変わらず「この人大丈夫?」と思う。そして同人が姉上のお答えを引用風に繰り返した数回、表現を若干だが意識的に変えていたのが目立った。
国枝、及び、是枝に心の大きな部分を許している男性の医師。そして、文房具に同じく心の大きな部分を許している女性の医師。
25日のあの時点は、これらの医師が、最も慮(おもんばか)るべきところであった。
しかし、これらは冷淡、且つ、軽率に「精神的に不安定な部分が見られる」、とした。
上で述べた23日付手紙に姉上が用いられた「私を精神病院に強制入院させようとする動き」との表現からも分かるように、ここには、真っ当な診察の結果として得られる学術的見解とは関係のない、悪質な意図がある。
これまで何十年もの間我々姉妹の父上を激しく攻めつづけ、父上と母上が自らの歩みを通して示された良き牧者のこと、このお方の復活の知らせ、そして、このお方が唯一に司(つかさど)られる復活の力のこと、この根本観点に反逆しつづけ、実際に複数の殺人事件が今なお隠蔽されている千葉県富津市を管轄する富津警察をはじめとする、特定の者どもの意図である。
そして、この意図に、この指定医は従った。
はじめから先入観を持ち、質問の終わりに姉上の話し方について、(ちょっとおかしいという意味合いで)ほかの人と違う、と言い張った男の医師と一緒に、この女性の医師も、正義を離れてしまった。
実際に問題を抱えている人のその問題の解決に正義が不可欠であるなか、その正義を離れたならば、もはや、医者ではない。
姉上に対し、警察からの予告なしに実施されたこのいわゆる診察が、扉の閉まった窓のないあのような狭い4畳半ほどの空間、中に机が3つ、椅子が5脚(あるいは6脚)、大人が6人、ご本人以外の5人(私を含む)皆が扉の反対側の壁を背にした被質問者としての姉上に向き、まして一人(男性/保健所職員)は椅子を持ってくることなく横に立ったままでいて、さらに、逮捕の際にご本人に対して不正極まりない真っ赤な嘘をついた富津署の刑事が2人の指定医の間から見ているという、この極めて圧の高い、精神的に攻めを感じる空間、それも、灰色い重たい鉄の扉の先の、取調室と呼ばれる「密室」で行われるというこの大きな不正観点を問題視しない時点で、精神科医でもない。
父上は、心理学にもお詳しい。なぜなら、組織づくりをしない牧師として多くの人と接して来られたからである。
心に深い傷を負っている人、強い良心の呵責を受けている人、人生の最期に向かっている人。
これらは一例であるが、正義と真実を中心に据えられた父上のカウンセリングは、今日、人々が想像しまた経験するカウンセリングと呼ばれるそれらとは全く違う。父上はいつも最も真剣でり、細心の厳密さをもってことに取り組まれる。言葉を濁したり口先の慰め文句を言ったり、また、問題を過小評価することは、決してされない。
父上のそばはいつも明るい空間があり来やすい。幼い頃の思い出深いある場所の特徴は、深い安心である。素朴だが大きな窓が両方の壁にある、かどの部屋。そこからは松と空が見える。
釈放されたら何がしたいかと続けて二度問われた姉上のお答え、それは、やよい講説を再開すること、および、名誉回復のために国政選挙に出ること、であった。
阿南巌の二女、阿南百合子の妹、阿南未里子

