2025年3月8日(土)
執筆 / 未明公開
dienstbereit という言葉がある。私がスイス語で親しんできたこの言葉は「世話好きな」と訳されるようであるが、この表現はどこか失礼な感じがする。
Dienst は名詞であり、動詞は dienen である。仕える・奉仕するという意味であって、bereit は、その用意がある、という意味である。
人が後ろめたい考えを持つことなく、純粋に誰かのお世話をすることを重荷に感じないなら、それは良いことだと思う。その一定の荷よりも相手を重んじるという本人の選択があるのだと理解する。私はそのような人を、軽々しい感じで「世話好きな人」とは言いたくない。
仕える用意があるとは、たったの8文字の言葉であるが、その奥深さは計り知れない。
長年この dienstbereit の姿勢で励んでこられたある方をよく存じ上げているゆえ、このように書くことができた。
社会は、利得意識の絡まない奉仕を、ただ提供するばかりで得るものが乏しいと冷ややかに位置付けることがしばしばある。
だが、それが事実であるなら、上で述べた奥深さは、ない。
つまり、奉仕、それも何かの組織や集まりの色が付着していない奉仕が、目に見えない、そして、粗雑な人が気づきもしない、特別な収穫を本人にもたらしていることが分かる。
奉仕を、尽くす、という日本語に置き換えると、より具体的に見えてくる。
そのある方は、実に40年以上、若い世代のために力を尽くしてこられた。
当時(初めの頃)もすでに、アメリカが敷いた悪しき占領政策によって、かつての姿から大きく離れてしまっていたこの国で、まして、子どもの精神を狂わせ、その健全な成長を阻む目的で制作された番組やアニメが広く放映され、さらに、社会全体の流れが子どもを見下し、煙たがるものになっていたその只中で、心から、若い世代を大事にされた。
だが、アメリカが手先としてこの国に連れ込んだ在日朝鮮人は一斉に、その方を攻撃した。
殺し精神の者たちは、獣のようだった。
しかし、そのある方は、最も強いお方に、お仕えしていた。
全権をお持ちでおられ、尽くすお心でいらっしゃる先生に、お仕えしていた。
それゆえ、毎回、その先生の御手によって、守られ、歩みを続けることができたのである。
こうして、数々の荒波と困難を越え、越励学院の院長となられたその方は、日々新たにいただく力を大胆に投資され、まさに、虎根性(場問第3号/写真)を持って多くの隠された事柄に焦点を当ててくださり、それらを天日に干された。
悪事を表に出せば、悪はその力を失う。このうるわしい真実を打ち立てられたのも、院長である。
かつて、3人の人がいた。
いずれの人も、その命を、命をつかさどられるお方から、預かっていた。
テオドール・ヘルツェル、マキャベリ、マリオ・ラピサルディ。
だが、それぞれは破壊の存在を拝むようになり、そして、仕えるようになった。
西欧の道徳基盤を知っていた彼らは、命をつかさどられるお方がどなたであるかを、知っていた。
そして、その基盤を離れ、反逆を選ぶ者がどこに行くのかをも知った上で、そのお方に敵対することを選択し、数年生きたのち、地中の牢獄に落ちた。
角(つの)も、反逆のあらわれの一つ。
そして、ヨーロッパは、角だらけである。
教会と呼ばれる建物の、天を向いた、角である。
西洋は、歴史の早い段階から、古(いにしえ)の書に記されている真実の言葉を聞くことができ、唯一の神の御子息、救い主イエス・キリストが、ゴルゴタの丘において、死と悪魔に打ち勝たれ、正義の王としてこの世を統べ治めておられることを、知ることができた。
そして、この内容を受け入れた人々がいただくようになった恵によって繁栄し、進歩も与えられた。
しかし、「なんじらは皆兄弟」とおっしゃったこの先生のお言葉に背き、個々の集まりを作っては責任者がその集まる人々の上に立ち、まっすぐな道をお示しくださった先生に反逆するようになった。
そして、自然の中の見晴らしの良いところなどに白い女性像を立て、先生に奉仕していると装いながら、故意に人々の目と心を先生から遠ざける集団までもが、影響力を持った。
リーダーらと一般信者の間に差があることも伺っているゆえ、個々の立ち位置の違いは意識したいが、西洋の特徴として描写された。また、某国の身動きも制限されるほどひどく太った多くの人を見ると、個々人が、いかに仕える姿勢から離れたかが、わかる。
そして、院長阿南巌が、組織づくりをしない牧師としての長きにわたる尽力とその実績をもとに記し、関係者に周知した「漂流罪状」は、揺るぎなく据えられている。
まことに、良い先生に奉仕することができるのは、本当に素晴らしい。
父のおかげで、私もこの先生にお仕えすることができるようになった。
この文章も、父上の恩恵。
新宿は、雪。
さくらの咲くころには、餡のお菓子や栗しぐれなどを、お差し入れしたい。
以下、院長が上記の者達に関して、あるいは、関連内容を記された箇所の一部を紹介する。
テオドール・ヘルツェル (Theodor Herzl):場問第3号「生贄まで誤算」-「物」ユダヤ人
マキャベリ (Machiavelli):同上/権謀術数(同人から世に出た)とのみ表記
マリオ・ラピサルディ (Mario Rapisardi):ウェブサイト「大なる偽りと壮大なる真実」- 縫込み
なお、上記3点へはそれぞれ、越励学院公式ウェブサイト内緑地の、場問(baton)の木と唯一性の木(公開済みウェブサイト一覧)から、漂流罪状へは、同ウェブサイト内の四本川(全世界、国際、国内、司宮主文)の国際より進むことができる。





