2025年4月7日(月)
17時公開
かがやき
明日4月8日、私たち家族3人がロシア大使館に政治亡命を申請してから9年になる。
そこに至った経緯も、そこからの期間も、ともに、重い歩み。
ウェブサイト仇討嘆願が公開されたのも、この待機の間であった。先行きの全く見えないなかで綴られた不屈の文章。その上に、今がある。
「They will do you no harm.」。あの朝我々は、大使館職員のこの言葉を信じた。
だが、それ以降も、犯人らの著しい加害と不正行為は、続いた。
同大使館の6年に及ぶ沈黙を受けて父上は、時の大使に手紙をお書きになった。今朝その文を改めて読ませていただいたが、そこに感情の波が現れた表現は全くなく、品位と寛大さがとても感じられた。差し止め等の不正をも常に念頭に入れなければならないなか、手書きされたその手紙は、重さをともなっていた。
ミハイル・ガルージンという名の大使であった。後にこの者が創価学会と深い関連を持っていることが判明したが、父子3人、とりわけ父上に対して行われた重大な不正の複数が詳細を含めた形で記されていたあの手紙に関して、完全無視を選んだことは、実に、大使失格の有様である。
まことに、長く険しい道のりであった。
特に、千葉において。
戦後アメリカGHQによって運び込まれた在日朝鮮人の割合が非常に高く、その巣がある地域。
一般人と公務員、双方が猛烈に攻撃を仕掛け、我々姉妹の父上を攻め続けた。常に若い世代、そして日本国家の幸のために最善を尽くされ、実りが目に映らない中においてもお立ち止まりになることなく、また新たな教育事業のための投資をも避けずに進んでいらっしゃった父上。その父上に対しての、攻撃であった。
私がまだ幼かった富津在住時、父子家庭の父親としての父上は、市役所をはじめ行政機関に行きお戻りになった際、ほぼ毎回、憤っていらっしゃった。そして、正義を強調する怒鳴りといかづちが毎回必要であったそれら各所におけるやり取りの内容をお聞かせくださった。
そのなかで父上は、社会が「自分のことで声を上げるもんじゃない」と言うがこれが偽りであること、そして、自分が被った不正に対して黙するならば、他の人のために声を上げることはできないということを、確信と実体験をもって教えてくださった。
20年余りを経てこの真実は、私の心にも根を張った。そしてやよいの末、私は姉上を弁護することができた。大きな喜びを抱くと同時に、ますます、父上に習い進みたいとの願いである。
以前姉上と、立つ鳥跡を濁さずという句について語らったことがある。ちょうど連日路上講説に取り組んでいた頃であり、静かに、互いの感じ方を受け止めた。
一方で、終わりよければ全て良しという表現もある。どちらも何かの終わりの場面を表すものであるが、両者の違いは大きい。前者は、いずれ来る去り際に品格と静けさが伴うように日頃から意識すべき、との考え方であるのに対して、後者は、経過の中身は見ずに末尾の仕上げだけで全体の評価がされればよい、という考え方である。
しかし、後者では、重要なことを成し遂げることは、できない。
- 私も、この鳥のようでありたい -
あの時の願いは、いまも変わっていない。
そして、新天地において、務めを遂げたい。
海を越え、この山々が遠ざかっても、日本への想いを心に。
過ぎたこのひと月の間、私は手紙の良さを知るようになった。
最近のツールと違ってひと昔の感じがあり色々不便に見えるが、かつては皆が知っていて、今を生きる多くの人が見落としてしまっている手紙のその良さに、私は出会った。
確かに、手紙は配達に数日かかるなど届くのが遅い。送り先によっては空輸になり台風などの影響も受ける。また書く手間も小さくない。手書きの場合は、下書きのあとに清書をして、書き損じがなくてはじめて、封をすることができる。下書きをしない人もいるかも知れないが、私はする内の一人。
では、これらの側面は本当に、以下の点より勝るだろうか。
手紙には近代的なツールにない近さがある。温かさがある。そして、書き手の心が反映されている。相手を想えば想うほどそれは文に表れ、心に届く。手に取り開いてまた読むことのできるその手紙は、宝物になる。
雨の日に届くときは封筒が傷む。晴れに届くものよりも見た目は悲しい。だが、より一層つづられている言葉を深く受け止め、喜びが生まれる。傷は、外側だけ。
手紙を書くのは、長い手紙ならパソコンを使っても何時間もかかる。場合によって1日かかるかも知れない。だが、時間をかけるそのなかで、相手に対する自分の姿や心を見つめることができる。普段及ばないところまで意識を向け言葉を考える過程で、相手への想いは深さを増す。
不意に気づかされる自分の誤りに、涙することもある。
そうして、真心を込めて書かれた文(ふみ)は、相手の心を動かす。
スクロールもタップもない、紙。だが、この先何十年も、残る。
真剣につづられるその言葉は、なくならない。
手紙が、その想いのあかし。
いつも、講説でお声を聞き、投稿や文章を通して身近でいらっしゃった いもん はんじ。
ある朝突然、隔てられた。
九日目、静けさのなか届いた最初の文に、確信が生まれた。
心は、一切変わっていない。離れているのは、外側のみ。
大きな感動は心からの感謝へとつづいた。そして、力となった。
戦のなかで仲間と背中合わせの状態であるとき、こちらに相手は見えない。
しかし、心が一致していれば、そこに隙間はない。
私はこの間、この締まりに至ることができた。
こうして、いもん はんじ から届いた九通、すなわち、三度目の違法逮捕とそれに続く違法強制入院という過酷な日々の中で、姉上が日本国民を想いお書きになったそのお手紙は、多くの心に届いた。
それは今、あせることのない、やさかにの輝きとなっている。
そして、これから語られるお言葉もまた、宝となる。
まことに、道なきところに道を作られ、今日まで姉上をも導いてこられたそのお方は、姉上に語っておられます。
これゆえ、従順の十間に、日本国を攻める全ての敵、また攻め来ようとするいかなる敵も、大敗北を喫す。
誠に、姉上の復帰は、近い。
陣頭指揮をお取りになる いもん はんじ の、お戻りである。
完
2025年4月7日
妹 阿南 未里子
